スピード優先で絵を描くに至ったわけ

スピード優先で絵を描くに至ったわけ


ひと月前ほどTwitterで宣言した、この1ヶ月ほどスピード優先でガシガシ絵を描いてみるというやつ。どうにも僕自身のんびり屋というかせかせか生きるのがニガテな性分で、絵を描くにしてもスピードが遅いほうだと自負してました。ただ最近はのんびりというよりもだらだら感が否めず、一度気持ちを是正したほうがいいなと思いました。それに短時間で作品をデリバリーすることはひとつの目標でもあったので、いま時間の余裕があるうちに達成したほうがよかろう、と思い立ったわけです。
とはいえ、いままでノロマだったのをいきなりスピードを上げろと言われても根性論でどうにかなるわけでもないから、以下の工夫と能力の開拓が必要だと考えました。

①直感を信じる

例えば空間や奥行きの臨場感を描写したい場合は、定規でパース等を引いたりするのが定石でしょうが、こういった作業を全部省略し感覚頼りで描くようにしました。そこに歪みやズレが生まれても、それも一種の表現としてはありだと思うようにしました。

②資料は見ない

少し前までは絵を描くにあたってロケハンすることはあったものの、当たり外れの振れ幅が大きく、時間のロスが大きいと感じてました(※)。むしろ日頃から日常をしっかり観察し、キャンバスに向かう際はそのインプットを糧にゼロから組み立てる能力が必要だと思いました。
人物は数年前からそういった訓練してきてそこそこアタマで思い描いたポーズは描けるようになり、ようやく最近になって遠景も資料なしで組み立てられるようになってきました(いずれガジェットの類も自分でデザインできるようになりたい…!)。

③完成タイミングの切り上げ

絵というのは完成どころが難しいです。なぜならディテールを詰めたいと思ったらいくらでも詰めたいと思うしキリがない。僕もこういう詰め詰め地獄に陥りやすいタイプでした。
ただしここで本質に立ち返りたい、「緻密に表現する」ことと「その作品に芸術的価値がある」ことはイコールではないです。丁寧にやりすぎてつまらない作品に仕上がるというのはありがちです。多少荒っぽい筆致で鑑賞者を惹き込ませる作品のほうが絵としては面白いと思っています。
そのためには局所に拘らず、荒筆でも全体として整合性をとることを描く際に強く意識しながら、「これでよし!」と割り切るようにしました。

これら3つはこのひと月というよりは半年前くらいから徐々に意識はしていたのですが、よりスピードを上げたいなと最近強く思うようになり、あとは実践あるのみと描き始めた次第です。

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以下は合間に描いた取り留めのないやつ
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実際やってみて、これが自分にとって正解かどうかは未知数ですし、むしろこういった試行錯誤は一生終わらないものなのでしょう。ただ悩んで手を止めるよりは、たくさん描いてみるほうが最短距離を行けるんだとこれだけは思えるようになりました。

それはそうと、描いてる時間は凄く楽しいんですよね。おおむねひと月経過しようとしていますが、僕が楽しいのでもうしばらく続けようと思います。しばしお付き合いのほどを。

※ロケハンをやめた理由(全くしていないわけではないですが)はもうひとつあって、むしろこちらの理由がはるかに重要なのですが、記録に残したものだけではモチーフにしろ見ている視点にしろ表現の幅に限界があると思い始めたからです。ならば一度、現実世界のメタファを一度解体し自分なりに再定義する能力を鍛えたほうが良いと考えました。そのほうがより「創作」っぽい活動ではないかと。